自己紹介

【告白その1】初めての起業で11年経営を続けられた理由の始まりの話

はじめまして、センターピーストレーナーの
安田(やっさん)と申します。

2016年から犬飼ターボさん(以下ターボさん)が
主催しているセミナーの《センターピース》を受講し始めて、
現在はセンターピース公式トレーナーとして
セミナーのお手伝いなどをさせていただいています。

6歳と2歳のかわいいかわいい娘二人と妻の4人で大阪在住。

仕事は、2011年(大震災が起きた年)の5月から起業して
クリニック専門の掃除屋を営んでいるのですが、

この『起業』をする際に、
ターボさんの影響をメチャクチャ受けているので
ちょっと昔話をさせてもらっていいですか??

★3回の引越しが人生を決めた

僕は、
生まれは神奈川県なのですが、
父の仕事の都合で
3歳で高知、
5歳(幼稚園の年中さん)で京都、
8歳(小学2年生の夏休み)で兵庫県神戸市に
引越しています。

で、
2,3年ごとに起きる、この引越しというイベントが
僕にいろいろなトラウマを与えてしまいます。

★みんなの前で笑われたトラウマ

まずは、5歳(年中さん)での引越し。
転園先の幼稚園は
なぜか英語の授業がありました。

先生に質問されて
園児が起立して、質問に答える。

今考えれば簡単で、
「名前」か「年齢」を聞かれるだけなのですが
突然英語なるものが始まってしまった5才児の僕には
「ワッチュワネーム?」
「ハウオールドアーユー?」
が同じにしか聞こえません。

当然
先生「ハウオールドアーユー?」
僕「ヤスダ」
となるわけで、

五歳児なんて遠慮がありませんから
「ギャハハハ」と、盛大に笑われた記憶があります。

前の幼稚園ではこんな授業無かったのに・・・
なんでこんな恥ずかしい思いをしないといけないのか・・・

今思い返しても
ほんと、イヤな思い出です。

このコトで、僕は
【人前に出る=笑われる】
というトラウマができてしまいました。

★仲間に入れないトラウマ

残念ながら引越しの悲劇は幼稚園では終わらず
小学2年生の夏にもやってきました。

京都の長岡京から
兵庫の神戸への引越し。

同じ関西から関西への引越しで
大した違いが無さそうですが、
そこには全く違う文化が存在しました。

それが、『笑い』

京都は特に『笑いを取る』とか無かったのですが
神戸には必要な要素だったのです。

いや、
関西人以外の方にとって
『笑い』って聞いても
大したことなさそうに聞こえるかもしれませんが

関西人にとっては
「読み」「書き」「笑い」
ぐらいの勢いで重要なんですよね。

この「笑い」が全く分からなくて
疎外感と劣等感を感じまくりの毎日。。

そんな大げさな!と思われるかも知れませんが
あなたが仮に「読み」ができなかったら
疎外感と劣等感、感じるでしょ??
ホントそんな感じなんです。

そして、
さらに悪いことに、何か笑いをとらないと
『優等生ぶってる』扱いになる。。。

これがホントめちゃくちゃ厄介でして

それがこじれて何度か
はみ子(のけもの)になったっけ。

それもこれも、引越ししたせいや。
なんで引越しせなあかんのか?
やだな~、やだな~、

小学生の時は毎日思っていた気がします。

こんな感じで、
【自分は仲間に入れない】
というトラウマが生まれました。

そういえば
5,6年生になる頃にはもう、親を恨むを通り越して、
親が勤めている『会社』というものを
恨むようになったんですよね。

なぜ、会社の一存で
僕の人生を振り回されなアカンねんと。

小学校の卒業文集の『将来の夢』では
「絶対会社員なんかになるもんか!」と思って、
【電気屋になる】と書きました。
(※当時は自営の道がそれくらいしか分からなかった)

そんな感じで、いまいち楽しくない
小学校生活をおくったのですが

ただ、ここで
「独立志向」みたいなのが生まれたのは
人生的には良かったのかもしれません。

人間万事塞翁が馬

ただまぁ
まだまだ不遇の時代が続くのですが

・・・
【告白その2】
絶望の中で、運命の出会いは訪れた

につづきます。